★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 仇花の記憶〜ショタやおい雑話〜 ☆ 第十九回 ショタやおい日本史(一) ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 御機嫌よう。葡萄瓜でございます。 では、ゆるゆると雑談をさせて戴きましょう。 今回から3回に分けて(駆け足ではありますが) 本邦に於けるショタ及びやおいという観点から 捉えた史実虚構交えた日本史めいた物をやって 行きたいと思います。 お気軽に御読みくださいませ。 ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ 一番古い記録に現れるそう言う関係といいます と日本書紀(720年成立)『神功皇后紀』で語ら れる二人の禰宜(神主)の交わりですね。 親友が死んだのを受けて『無二の親友だったか ら一緒の墓に埋めてくれ』といって死んでしま って、遺言通りにそのまま埋められて、結果記 録に残される天変地異を起こしてしまった…そ れだけ熱い交わりというならそうなのかも知れ ませんけど…。 ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ 万葉集(759年頃成立)や伊勢物語(959年成立) 等、和歌に纏わる方面で友誼の情を超えた感情 が遣り取りされる場面があったと言う説もあり ます。 芸術が性別を超えたのか、性別を超えた所に芸 術が存在するのかは定かではないですが。 以降和歌と男が男を恋い得る心情の関連性は陰 になり日向になり虚実の合間を彷徨います。凡 そ戦国時代辺りまで。 ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ ここまで記した時点で、如何に俗説とはいえ空 海(774〜835)こと高野山開祖弘法大師が男色 の祖であると言う説は間違いではなかろうかと 納得される方もいるのではありますまいか。 これは往時の僧籍に在った者が自分達の行う稚 児愛を正当化する為の権威付けにこじつけたも のでありましょうか?僧籍に在った者が稚児を マスコット的な位置で愛玩していた事例は遡れ ば奈良時代には既にあったと言う説も御座いま す。 ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ 僧・源信の著した『往生要集』(985年成立)に は他人の寵愛する稚児に横恋慕して強奪した者 が墜ちる地獄が記されていますとか。第三衆合 地獄・悪見所と申しますのがその地獄であると の事です。稚児が責められている様を観つつ自 らもまたその更に倍増した責め苦を受ける地獄 でありますとか。 ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ 物語の一部に明らかに男児寵愛の要素を織り込 んだ最古のものは現在の所『源氏物語』(1008年 頃成立)と見て間違いないかと思います。 源氏の君が空蝉の弟・小君を(姉の身代わり半 分で)寵愛する部分ですね。 この背景には当時の宮中に於いて見目麗しい人 を男女構わず寵愛するという風習が根付いてい た事があるかと思われます。 そこに相手の心情を尊重した愛情があったかど うかは不明ではありますが。 ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ この時代の実在の人物で後世物語中で稚児とし て寵愛?された人物に源義経(1159〜1189)が 居ます。能曲『橋弁慶』に於いては鞍馬山に登 る直前の少年・牛若丸として京の五条大橋にて 通行人から刀剣を奪い取る所業を重ね、それと 闘わんと赴いた武蔵坊弁慶を打ち負かして更に 主従の約を結ばせて居ります。(註1)。 又同じく能曲『鞍馬天狗』に於いては稚児・遮 那王と呼ばれ、鞍馬山に住まう天狗に恋慕の情 を捧げられ、そして兵法をもやがて授かる様に 描かれております また司馬遼太郎著『義経』上巻に於いては遮那 王と名乗っていた寺稚児時代、師僧を相手に純 潔を失った過程が「稚児懺法」の章冒頭にて描 写されています。 俗に判官贔屓とは申しますが、それと等しく稚 児としての牛若丸遮那王も又愛されている証拠 でしょうか? ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ 時代が少々下って鎌倉時代前後から室町時代に かけ、物語群の中の一分野であったお伽草子の 中の更に一ジャンルとして『稚児物語』と言う 分野が成立します。 凡そ描かれるのは僧侶と稚児との恋物語ですね。 あからさまな愛欲模様から淡い恋模様、又師弟 愛と感情の濃淡はありますが、大体が稚児愛を 前提として展開される物語です。 寺院内には戒律上女性は存在しません(しては いけない!)から、可愛らしい稚児の姿は心の 潤いになったでしょうし、また一歩踏み込んで …と言う僧もいたでしょう。その一歩踏み込む 事を止めずに宗教儀式の一環として黙認してい た事も少なからずあった様です。(上で述べた 「義経」上(司馬遼太郎:著)内で描写されて いる場面もまた、宗教儀式という方便で修飾さ れた行為です。 寺院に預けられる稚児は凡そは貴族の子弟であ りましたが、時には愛玩用に見目良き子供を攫 い、寺院に売りつける者も居たとか居なかった とか。寺院内の人間模様を背景にして描写され る稚児達の像は現代で言えば『健気』もしくは 『日陰』あるいは『尽し』キャラと見受けられ ます。僧侶の修行成就の為には恋心を抑えて身 を退く…と言う立場に多く立たされている様な 気が致します。 この「稚児物語」の一群、絵画表現として残っ ているのは『稚児草子』『稚児観音縁起』『芦 引絵』の3点で後はほぼ物語形式のみで現在に 伝えられております。この事について拙い知識 で愚考しますに、稚児の可憐さ丹精さ妖美さを 絵画で残すよりも物語として残し、後は読み手 の想像に任せて思いを膨らませた方が良かろう との暗黙の諒解が往時在ったのやも知れませぬ。 実際の所は其処迄妖しい考えを巡らせる人が少 なかっただけなのであろうと思いますが。 往時の画風はまだまだ引目鉤鼻(註2)を美男 美女描写の最大公約数として優先する時代。稚 児各々の個性も引目鉤鼻と言う技法の前では滲 み出ようもありませんし。 3点の絵画が残っていて、往時の様子を絵で偲ぶ 事が出来ると言う事だけでも寿ぐべき事なので しょう。 ● ○ ◎ ● ○ ◎ ● ○ 今回は、少々半端ですがここまでと致します。 次回予定はこの続き、稚児物語周辺についての 追補から始める予定です。 では、此度はこれにてとりあえず筆を擱かせて 戴きます。次号まで、御機嫌宜しゅう。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 註1 『義経記』等の伝承に於いては狼藉を働いてい た武蔵坊弁慶を牛若丸が討伐する、という筋で あるが能曲に於いては立場を入れ替えて描かれ ている。 註2 日本画の技法で平安時代以降頻出。 糸の様な眼と『く』の字型(鉤型)の鼻の描写 を特徴とする。 ●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎●○◎● 参考文献は別号にて配送します。 ======================= 仇花の記憶〜ショタやおい雑話〜 第十九回 2004.7.10発行 文責:葡萄瓜XQO website:『仇花の記憶』 http://kamakura.cool.ne.jp/xqo/ mail:xqo_gm@yahoo.co.jp このメールマガジンは melma! http://bbs.melma.com/cgi-bin/forum/m00090840/ メルマガ天国 http://melten.com/m/14637.html Mailux http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3FAB47D02D533 Macky! http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=xqo メルカップ http://www.melcup.com/cgi-bin/magazine/magazine.cgi?mag_id=M000000737 マガジンすきやねん http://www.sukiya-nen.com/sys/m.cgi?id=xqo のシステムを利用して発行させて戴いています。 ご意見ご質問等はWebサイトBBS http://bbs.infoseek.co.jp/Board02?user=bxqo にて承ります。 又連動BLOG「ショタやおい雑記」も運営しております。 http://blog.melma.com/00090840/ こちらも宜しくお願い致します。 バックナンバーはサイト内にて公開しております。 再配信ご希望の場合はお手数ですがメール若しくは BBSにてご用命戴ければ幸いです。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆