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仇花の記憶〜ショタやおい雑話〜
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第六巻六回  小説「それは三月」
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御機嫌よう。葡萄瓜でございます。
小説配信回。お楽しみ戴ければ幸いです。

○●○

 それは三月
                             XQO

 僕達二人の間で暗黙の了解になっている事の
一つに『ほうれん草は旬のものを生で買う』と
言うのがある。なんだそりゃと鼻先で哂われそ
うだけど、実は二人暮しを始める時に真っ先に
話題になったのはこれだった。
 二人とも子供の頃にあの顎のしゃくれた気の
良い水夫の活躍を観ている訳だからほうれん草
にはそれなりの思い入れがある。その上で『生
のほうれん草が良い』と言う結論に達している
訳だ。
 そりゃね、缶詰や冷凍加工のほうれん草が便
利なのは判る。缶詰は未だ舶来品だから措くと
してもポタージュを作ったりオムレツを緑に染
めるには既にある程度加熱してある冷凍加工品
を使った方が便利だろうと判ってもいる。
でも、出来れば旬のものを八百屋かスーパーで
買って下茹でして…と一手間を掛ける方が、僕
も康彦も好きだ。あの厚ぼったい葉とふてぶて
しい程に逞しい茎を観れば尚更の事。それだけ
でも元気が涌いて来そうになるから。
 二人暮しの楽しさなんて、結構そう言う些細
な事の積み重ねなのかも知れない。一日一回確
実に波乱のある様なそんなスリリングな日常は
むしろ欲しく無い。一息ついた時に誰かの気配
がある、それだけでも充分良い日常だ。野菜一
種類で一汁一菜を賄ってしまったとしても。
 「家賃を確保出来てるだけ良いんじゃない?」
 康彦の言葉に苦笑する僕。週一回の外泊資金
を捻出する為の節約清貧なのだから致し方ない
とは言え、へこむものはへこむ。楽な方に流さ
れてしまいたくもなる。
 「ああ、そういえば」
 「ん?」
 「方楽園でそろそろ山桜が咲くってさ」
 「へぇ」
 「長屋の花見、と洒落込まない?」
 「酒は良いよ。せめてコーヒー」
 「は、きちんと喫茶店で」
 思わず箸を止めた僕をキョトンと見返す。
 「何?」
 「いや、ウエハラの二本セールで、と言う答
を予想してたから」
 「バカモノ。そこまで清貧を強要はしないよ」
 笑いながら茶碗は?と手で促され急いでかき
こんで噎せながら渡す。それでも飯粒を漏らさ
ない所が我ながらなんだかなぁ。
 「たまにはそう言う定番以外の贅沢も良いじ
ゃない」
 「そうね」
 一丁目の林さんちの梅の樹に鶯が寄って来た
らしい。鳴き声がかすかに聞こえてくる。

 方楽園の山桜は実に見事だった。樹が持つ元
々の勢いもあるのだろうし、適切な手入れの賜
物もあるのだろう。
 長屋の花見坏と聞かされていたものだから内
心どんな弁当になるかと言う不安はあったもの
の、簡素ながら良い弁当と言う次第に落ち着い
た。後にコーヒーが控えているので量はさり気
なく控えめ。
 実の所は、こうして二人で過ごせる時間こそ
が馳走なのだろう。その事を喜ぶと同時に少し
不安になる。それは僕と康彦が何時まで二人で
過ごせるかどうか確定していないと言うささや
かで漠然とした不安。
 約束手形や指輪が欲しい訳では無い。物理的
にそれが在ったとしても形式だけではどうしよ
うもない。
 ただ、大丈夫だと言う保障と言うか、足掛か
りが欲しいのだ。ああ駄目だ。桜に変に酔って
しまったのかも知れない。コーヒーを飲めば少
し落ち着くのだろうか。

 席について暫し一服。どの店に入るかは康彦
に完全に任せていた。二人暮しをしていれば少
しは勘も働く様になる。何かを告げたいからこ
その喫茶店と言う事なのだろう。
 そしてコーヒーで喉を湿しているとス、っと
袱紗包みを滑らせ寄越される。目で促されて開
いてみると、そこには一箇の根付が在った。
 「覚えてる?」
 「物持ちが良いな」
 「そりゃあね、記念品だし」
 「で、返還?」
 「いや、再贈呈」
 成る程、言われて改めてみれば小さいながら
も金剛石がしっかり填め込まれている。
 「これからもよろしく」
 「こちらこそ」
 十年の時を経て、真鍮の第二釦は僕達の絆を
留める釦となった。金剛石の輝きも得て。
                  【了】


○●○

さて、此度はこれにてとりあえず筆を擱かせて
戴きます。
では次号配信まで、御機嫌宜しゅう。
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仇花の記憶〜ショタやおい雑話〜
第六巻六回 2009.3.25発行

文責:葡萄瓜XQO
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